文化・芸術

2013年10月28日 (月)

「あまちゃん」チーフプロデューサ訓覇氏のワークショップの受講レポート 【第1部】

 20131027日(土)、恵比寿ガーデンプレイス内の東京都写真美術館にて、「あまちゃん」のチーフプロデューサである訓覇圭氏のワークショップが開催された。開演は14:00、終演は18:00(予定)とされており、開催前から濃密な4時間になることが予想された。実際、10分の休憩を2回いれ、終演は18:30頃になった。

 

 ワークショップの内容は、大きく分けると、下記の通り。

1部は、「プロデューサの仕事とは」

2部は、ディレクターの吉田照幸氏を迎えての「演出」の話

3部は、参加者からの質問コーナー

 上記の3部構成の内容だった。

 

【第1部】

 ワークショップの冒頭は、あまちゃんの第1話の映像が流された。その後、司会の方に紹介され、訓覇氏が登壇した。

 第1部の話の中で、最も興味深かった話題は、訓覇氏の“3つの博打(賭け)”。その内容は下記の通り。

1.ドラマの舞台を久慈市にしたこと

2.主役に、能年玲奈を起用したこと

3.アイドルネタという業界モノになったこと

 上記の内容は後述することにする。

 

 登壇した訓覇氏は、まず、「あまちゃん」に関して、「ヒットの秘訣は?」という質問をよく受けるが、「(自分自身も)わからない」と語り始めた。

 「質問はいろいろ受けてきたが、語る時間がなかったので、今回はちょうど良い機会なので、じっくり話したい」と語った後、受講者に対して、質問をした。

 

 質問の内容は、「プロデューサ志望の者がいるか」、「プロデューサはいるか」というものだった。受講者には、実際にプロデューサであると挙手した方がおり、話しづらさをあらわすひとことが飛び出した。

 

 「プロデューサの仕事は何か?」という受講者への問いかけのあと、司会者が作成したスライドを使ってプロデューサの仕事の説明(企画、金の管理、撮影関連、仕上げ、上映など)がなされた。プロデューサの仕事内容はとにかくやることが多いが、各分野のみを得意とする人が日本人には多いということだった。仕事の担当範囲に境界線を引き、自分の担当範囲以外を他人に任せてしまうタイプが多いとのことだ。

 

 NHKに入局するにあたっては、プロデューサ採用はなく、ディレクター採用を選択することになり、訓覇氏自身、ディレクター採用で、入局当初は地方で3分ほどのドキュメンタリー番組の制作から仕事が始まるとのことだった。現在の訓覇氏にとって、この仕事を担当した5年間の経験が生きているとのことだった。

 その後、「演出」を担当することになるが、訓覇氏自身は楽しくなかったと語った。訓覇氏は、自分自身を非常に現場寄りの人間だと語った。いわゆる「ウケる(ウケを狙う)」というのが苦手で、ヒットを狙っているわけではないとのことだ。

 「どうやってつくったのかを丁寧に話したい」と語った訓覇氏は、「テクニカルなことよりも、現場での会話を大切にしたい」と続け、ある現場で、もっとも現場に顔を出すプロデューサだと、役者に話しかけられたことを嬉しそうに語った。

 

 ここで、「あまちゃん」制作にあたっての2011年のスケジュールのスライドが投影された。

 概要は下記の通り。

20113月]

 ・震災

20115月]企画期

 ・朝ドラ企画

20116月]

 ・宮藤官九郎(以下、クドカン)打ち合わせ_1

 ・xx打ち合わせ

20117月]

 ・クドカン打ち合わせ_2

 ・企画初期設定

 ・過酷なスケジュールを想定

 ・クドカン打ち合わせ_3

 ・仮タイトルが決まる

20118月]

 ・徹底した取材

20119月]

 ・クドカン打ち合わせ_4

 ・舞台を東北に想定

 ・東北現地取材スタート

 ・ヒロインイメージに迷う

201110月]

 ・クドカン打ち合わせ_5

 ・取材の報告/ブレスト(ブレインストーミング)

201111月]

 ・クドカン打ち合わせ_6

 ・2回目の東北現地取材

 ・久慈市へのシナハン(シナリオ・ハンティング)を決意

 ・クドカンとの3日間

 ・クドカン打ち合わせ_7

 *帰りの新幹線で打ち合わせ

201112月]撮影準備期

 ・一部のプロット到着

 *キャスティング構想

 ・プロットの肉付け

 ・詳細打ち合わせ

 ・26週の週割り/日割り

 ・徹底的な取材続行

 

上記のスケジュールをベースに、訓覇氏が当時の話を語った。

 

「朝ドラは、時計代わりの番組」との言葉があり朝ドラのテーマとして、とにかく笑えるもの、生活に根付いたものがやりたいとの思いが、訓覇氏にはあった。このテーマで思いついたのがクドカンだったとのことだ。

20115月頃、クドカンが朝ドラをやりたいという話を耳にしており、訓覇氏は声をかけた。これは、“縁”だと思うと語った。

 

 訓覇氏とクドカンとの最初のあいさつで、「テレビドラマは明るいものにしたいですよね」と、クドカンが言った言葉を訓覇氏は覚えており、共感できたと語った。

 ちなみに、この時、実際に脚本を書いてくれるかどうかに関しては、「内容次第ですね」というのがクドカンの回答だったそうだ。

 

 20117月頃、2度目のクドカンとの打ち合わせがあった。しかし、この時、訓覇氏は何も思いついておらず、ディレクターの井上氏を使いたいとだけ考えていたそうだ。

 結局、訓覇氏は何のアイディアもないまま、クドカンとの2回目の打ち合わせにのぞんだ。ただ、関西弁を使って、ノリで行こうと思ったそうだ。

 この時のクドカンの言葉は、「遊園地みたいにしたい」だった。

 

 ドラマで想定されたシナリオは、はじめは故郷のシーン。5週目頃に東京のシーン。そして、また故郷のシーンといったように考えられていたそうだ。

 訓覇氏には、当時、クドカンの目が輝いて見えたらしい。

 クドカンは「田舎を書きたい」、「僕は田舎者なので」と話したそうで、なんらかのネタは持っていたのではないかと、訓覇氏は語った。

 この頃、キーワードには、「伝統芸能」、「大衆演劇」が出ており、白塗りメイクは濃すぎるだろうと思っていたそうだ(旅芸人や、ロードムービーではないぞと)。

 

 訓覇氏は以前、村歌舞伎の作品をつくったことがあり、村おこしの話で、大鹿村が舞台だったと語った。

 当時、クドカンから「地元アイドルってどうですか?」や「方言が書きたい」という相談があったそうだ。

 この時、訓覇氏に、電気が走ったそうだ。どんな作品でも、程度の違いはあるが、“(この作品は)イケる!”と思う瞬間に、この電気が走るそうだ。

 “地元アイドル”や、“方言”は、「あまちゃん」にずっと貫き続けられているコンセプトとのことだ。

また、朝ドラは「安定感/安心感」が大事だと、訓覇氏は語った。

 

仮タイトルは、「ママはアイドル(仮)」。 ※訓覇氏は「ママもアイドル」と何度か口にしていた。

訓覇氏とクドカンの打ち合わせは、この時、2時間ほどだったらしい。訓覇氏は、クドカンが「書きます!」と言ったと思っていた。また。このスピードですすむことを認識し、ついていけるか、不安に思ったそうだ。

クドカンからは「すごく楽しく書ける」という言葉があり、このことを訓覇氏は良かったと語った。

 

訓覇氏は、プロデューサーの仕事について、「旗をあげていく仕事だと思っている」と表現した。

「あまちゃん」を表す言葉に「日本の朝を変えます(変えた)」があるが、とにかく“楽しい”がキーワード。新しいことをするという気持ちはなかったとのことだ。

 

この2時間の打ち合わせで、「あまちゃん」のすべてが決まっているとのことだった。

訓覇氏が、ディレクターの井上氏に、「どうだった?」とたずねた言葉への回答は、「うーん、田舎はクルかもね」で、訓覇氏は、「俺、楽しいよ」というやりとりを交わしたそうだ。

 

ここで、仮タイトルとあらすじの話があった。

 

その仮タイトルは、「ママはアイドル」※訓覇氏は、「ママもアイドル」という言葉を複数回数使っていた。

 

この時のあらすじの内容は次の通り。

 

「東北の秘境」に現れたひとりの少女が、村に伝わる「伝説のカッパ舞(仮)」で、「地元アイドル」となり、過疎の村を救う物語!」

 

 ここでの「東北の秘境」は、訓覇氏的には、大鹿村のイメージ。伝統演劇の要素を入れてやりたいということで、上記のあらすじが、「あまちゃん」の原型だと語った。

 

あらすじからは、下記の項目まで話がすすんだ。

 

 村の人が見向きもしない伝統に、ひとりの少女が惹かれていく

 少女の行動により、その伝統が全国で大流行

 アイドルになるための脱走のエピソード

 5週目あたりでタイトルの意味が明かされる

 東京に河童が現れて、帰りの電車で見える

 しかし、見えた河童は、実はねつ造

 

「これもみたいですね」という司会者のひとことに、受講者の誰もがうなずいた。

 

ここまでが、20117月までのエピソードとのことだった。

 

続けて、訓覇氏は、こう語った。

「(震災のあとだが)やらないのも不自然だし。(震災を受けた)東北が題材なのに、山間部が舞台というのは変かも。」ということから、舞台となるのは“海”になっていったと、打ち合わせでの出来事を語った。

 主軸はあくまで「カッパ舞」と「少女」で変わらないとのことだった。

 

 取材を得意とする方に依頼した結果、“海女“の話がでてきたが、訓覇氏は海女のことを当時はほとんど知らなかったと語った。

 この直後に語られたのが、冒頭の“訓覇氏の3つの博打”だった。3つの博打のうちの1つ目「ドラマの舞台を久慈市にしたこと」を取材写真を紹介しながら、訓覇氏は語り始めた。

 

まず、「取材のはじめは、その土地を見渡せるところに行け」という言葉に従い、久慈の町で高台となる巽山(たつみやま)公園の写真が紹介された。

 

 巽山公園から見た久慈の写真では、海はどこにあるのかわからず、ごく普通の地方都市の風景だった。唯一、アンバーホールの建物が目立っていた。

 

 “銀座通り”と呼ばれるメインストリートの写真からは、いわゆる“シャッター商店街”という表現が使われた。

 

 その土地をあらわすための基本となる位置から撮影した「マスターショット」の写真(メインストリートから久慈駅を向いて撮影した写真)では、メインストリートが曲がっており、久慈駅も見えないことを語った。この写真からは、「あまちゃん」での駅前ビルの3枚の看板エリアのアイディアがうまれたとのことだった。

 

 続けて、久慈の人々の話がなされた。

 浜にでて、おばあちゃんに話しかけると、(訛りが強くて)何を話しているかわからなかったとのことだった。結局、何を話しているかわからないのは、そのおばあちゃんだけだったが、「昔が格好いい」という印象が得られたと語った。

 三陸鉄道の方に話をきくと、ネガティブな赤字の話を含め、開業当時の話をまるで、ほんの少し前のように話してくれたことを語った。

 これらに対し、「大人の昔話が格好いい」、「自虐の美学」という言葉が使われた。

 地元男性のネガティブな話としては、「もう(この土地は)終わった」や、「病院が郊外に移転して、病人さえ、町からいなくなった」といったことが紹介された。

 しかし、そんなネガティブな男性も、夜のスナックでは元気。女性は皆、(スナックの)ママができるほど綺麗だと訓覇氏は語った。

 久慈と比較される取材した土地の中には、松島や平泉が入っていたそうだ。訓覇氏がディレクターと会話した内容には、「役者を(遠いので)連れて行けない。78時間かかる」や「3回行ったらよくなる(根拠なし)」などがあったそうだ。

 

 そして、201111月。久慈にクドカンと訪れた時のことが語られた。

 クドカンはこう語ったそうだ。

 「ココは、選ばれた(土地の)ような気がする」と。

訓覇氏が「なぜ?」と尋ねると、クドカンはひとこと、

 「遠いもん!」

 と、答えたそうだ。

 

 東京に行くのが大変なことであるという背景ができあがり、帰路の新幹線での3時間は、濃密な打ち合わせが行われたとのことだった。

 この打ち合わせで、12週までのプロットが出来たらしい。また、ユイちゃんは登場せず、主人公は東京生まれという設定と何もない町に、この少女だけが惹かれていくという、“人が大事”という話がここで語られた。

 

 取材でのリアル(現実)との距離感を非常に大事にしていることを訓覇氏は語った。例としては、町の名前。町の名前を考えるにあたって、“岩手県“まではリアル。町の名前は、現実そのままの「久慈市」や、大反対された「リアス市」、そして実際にあってもおかしくない名称の「北三陸市」という名称に決まるまで、議論された(モメた)とのことだった。

 

 訓覇氏は、ワークショップ前半を「フィクションだけど、限りなくリアル」、「フィクションとリアルの絶妙なシンクロ」という2つの言葉でまとめた。

 

#ここまでが、当日のワークショップの前半となります。

 ここで、10分の休憩後、ディレクターの吉田照幸氏を迎えての第2部となった。

#自筆のメモからテキストデータにざっとおこしただけなので、あとで修正はいるかもしれません。

 つづく…

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